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< プロフィール > ・1963年広島県生まれ。岐阜県・大阪府・徳島県・兵庫県と移り住み、現在徳島県在住。書家・創作家 39歳の時それまで勤めていた会社を退職し個人事業を始めるとほぼ同時に、それまで全く縁の無かった「精神世界」を題目にした書籍の出版・講演会の開催に関わる。
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●「空−くう」。 目の前の物。 自分。 他人。 すべてに形、色・・・ 五感で感じられるものが在る。 ここにそのものの形が無くても親を感じる時があるではないか。 物を観て、感情や人を感じるじゃないか。 この感じ…。 目の前の物を、そのものの形でなく「空−くう」として観ているのじゃないか? その瞬間、目の前の物は形を無くす。 自分自身が「空−くう」にいなくても、あなたの周りの物はいま既に、 すべて「空−くう」で居てくれているのです。 人にとっても、もう自分自身は「空−くう」に居るのだと気づくだけですね。 ●「愛」と「空-くう」。 特別でいて欲しい。これが愛の始まりか? 一目で好きになることもあるよね。カタチか声か仕草なのか? いるだけでうれしい時もあるよね。期待かやすらぎか空気なのか? 考えた感情ではないね。 湧いてくる、感じてくる感情だ。 うまく言えないのが愛だよね。 愛に言葉は要らないって言うよね。 感じるままだよね。 愛は盲目って言うよね。 これって、空のこころじゃないかな。 みんな、感じるままに「愛」しましょう。 ●「人」と「空-くう」。 人との関係。 人は人に支えられて生きている、とか いや互いが支え合って生きてる、とか 自分自身が人を支えているんだ、とか いろいろ、それらしきことを並べるが、ふと、感じたことがあります。 支えるでも、支えられているでも無くひとつにつながっているんだ、と。 そう。 空を見てごらん。 空から糸が降りていて その糸にひとりひとりがつながっていて 空を通じてみんなの気持ちが感じられ 空を通じてどこにでも行ける 空の先を感じてごらん すべてがそこにとけ込める 遠い世界のお話じゃないよ 今、みんながここにいるんだよ 「そら」はだから「くう」って呼ぶんだね。 空を見ていたら・・・ この身体を離れて、空の上からの景色が見れる気がした。 羽根なんかなくても、空に行ける気がした。 気持ちがよかった。 ●「あるがまま」と「空−くう」。 「あるがままでいる」ことは、とても素敵なことだ。 けど、「あるがまま」と「勘違いあるがまま」には注意しようね。 心に概念や価値観を抱いたままでいて、 「あるがまま(のつもり)」でいると、これは辛い思いしちゃうよ。 心の雲が曇っていると、 人(人生)ばかりか自分の心の本性も曇って見えちゃうからね。 思考が湧いてきても流して流して、追わない事だね。 ましてや、答えを求めないことだね。 答えを求めると、知らぬ間に無意識に、思考で答えを作っちゃいます。 答えを求めない。 質問しない。 感じるだけ。 なんの、勉強も要らないよ。 良いも悪いもなくなくなって、 思うがままの方向に進めて 湧くがまま動けて、話せて 浮かんだことが向こうから来て 「どうでもいい」 次のこと考えなきゃ〜、な〜んてのも無いんだよね。 楽しんで。 みんながそんなのだったら、もっと早く、早く 「どうでもいいけど」 ●「空」の生き方。 まっすぐに立って、「大丈夫だから、そのまま後ろに倒れてごらん」 なんて言われても恐いに決まっているよ。 そんな気持ちと同じかも。 頭の後ろに何があるのか、石がころがっいないか、 誰も支えてくれないかも・・・不安だよね。 いつもその器の中から物事を見ちゃう、考えちゃうよね。 それでも、構わないんだ。 ただ、器から出てきたその思考が「本来の自分」からのモノか 「経験則」から出てきたものかの違いに気づけたら、それでいい。 「後ろに倒れてみて」と言われて・・・ 「倒れたくない」と感じたら倒れない。 なんの不安も湧かなかったら倒れてみる。 「直観」で生きる。 これかな? koo (2005.)
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